2023年よかったものいろいろ

もう2024年になってしまいましたが、「2022年のよかったものいろいろ」に続いて、2023年のよかったものをまとめておこうと思います。

レストラン

運良くNomaのKyotoポップアップにいくことができました。8人の相席のテーブルで、他の3組は全員海外からのお客さんで、Nomaの本店に複数回行ったことがあるような気合いの入ったFoodieな人たちでした。

Noma風の八寸

美味しかったもの

しかし、一番美味しかったのは今年もレヴォでした 🙂

メインの鹿肉。食べたことない爽やかさ。

面白かった本

井上尚弥の強さを彼と戦って敗れた選手にインタビューすることで浮かび上がらせようというコンセプトの本。特に日本人選手の章がぐっときました。

展覧会

大阪の中之島美術館と国立国際美術館で共同開催されていた「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」に日帰りで行ってきました。具体の作品を網羅的に見ることができて、移動時間は長かったけどよかったです。最終日前日に駆け込みました。

博物館

福井県年縞博物館。「時を刻む湖」という本が最高に面白かったので、舞台となった水月湖にいつか行ってみたいと思っていたのですが、遂に行けました。7万年分の地層が展示してあります。

コンサート

大学時代に一番よく聞いたのはSTINGだったのですが、コンサートに行ったのは初めて。全部の曲を知ってるコンサートは楽しかったです。

西洋美術史をざっくり理解する

美術館には好きでちょくちょく出かけるんだけど、どの画家がいつの時代の人なのかとかがいつもあやふやな感じだったので、『西洋絵画の歴史』という全3巻の新書を読んでみた。3冊といっても新書なのでさっくり読めて、ルネサンスの始まる15世紀から20世紀までの絵画の歴史を概観できる。

このシリーズでは絵画の美術的・技術的な話だけでなく、社会背景をよく説明してくれているので、歴史上の出来事と絵画作品の関係を関連付けて記憶しやすかった。特に、絵の発注者が誰であるかという点(お金の流れ)に注目すると色々なことがスッキリと理解できる。

ルネサンス時代の絵画の主な発注者は教会か貴族。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『最後の晩餐』(1498年)は修道院の食堂に描かれたし、教会の絵が裕福な貴族から発注されるということもよくあった。貴族からのプライベートな注文を受けて制作する場合もあって、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』(1485年)は個人の邸宅に飾られていた絵画だった。肖像画というジャンルが発展し始めたのもこの時代で、有力者の肖像画を描くという商売が成り立った。レオナルドは『モナ・リザ』(1503年)を自分で持ち歩き、自分のポートフォリオとして注文主に見せていたらしい。

16世紀の初頭、ボッティチェリが1510年、レオナルドが1519年、ラファエロが1520年とルネサンスの巨匠が相次いで亡くなり、これが盛期ルネサンスの終わりとされる。

1517年のルターの批判から始まる宗教改革は美術界に大きな影響を与えた。それまで絵画といえば宗教画であったのだが、プロテスタントは偶像崇拝を批判し、偶像破壊運動が特に盛んだったネーデルラント(オランダ、ベルギー)では、宗教画に代わり風景画や静物画という新しいジャンルの絵画が生まれることになった。

ちなみに当時は、絵画のテーマは文学と共通すればするほど価値が高いとされた。歴史画は価値が高く、風景画、静物画、肖像画は低く置かれた。このような作品の格というのは、画家たちが自分達は「職人」ではなく、詩人や文人と同じような地位であるという主張をするために決めた側面があり、画家の集まりを「アカデミア」と呼んだのもそれが理由だったらしい。

経済面でいうとオランダが他国に先駆けて変革を迎える。教会と貴族の力が弱まり、17世紀には中産市民階級が台頭し、中産階級が絵画の注文主となる。中産階級は「教養」に乏しかったから親しみやすい作品を求めて、風俗画、風景画、静物画が好まれた。例えば、レンブラントの『夜警』(1642年)は中産階級が自分たちの集団肖像画を発注した作品だった。

18世紀後半に産業革命と市民革命が起こり、ヨーロッパ全体で市民が社会の主役となる。これにより絵画マーケットというものが生まれる。つまり、画家は貴族などから注文を受けて作品を制作するのではなく、中産階級の市民(ブルジョア)に買ってもらうための絵を自らのアイディアで制作するようになった。このことは、画家に作品制作の自由を与えたが同時に経済的不安定さをもたらした。市民が求めるような作品を作り経済的な成功を求める作家もいた一方、新しい芸術を生み出そうとする前衛的な画家たちも現れた。前衛的な芸術を追い求めて経済的に困窮するというゴッホ(1853-1890)のような画家の典型的イメージはこのような時代背景があって19世紀以降生まれたものといえる。前衛的画家たちは社会的にも経済的にも弱い存在だったので、グループとして活動することが多かった。このことから〇〇派という名称の付いた多くの画家集団が生まれることになる。また、これらの集団は同時代に複数並列して存在するので、すっきりと理解するのが難しい。

この社会構造の変化と絵画への影響は一夜にして起きたわけではなく、19世紀に徐々に浸透していく。19世紀前半には、伝統的な宗教的テーマから離れ、比較的伝統的な手法で描かれた作品を見ることができる。例えば、7月革命を描いた「同時代の歴史画」ともいえるドラクロワの『民衆を導く「自由」』(1830年)、写実的な風景画を描いたバルビゾン派の代表ミレーの『晩鐘』(1857年)、娼婦を生々しく描いて論争を呼んだエドゥアール・マネの『オランピア』(1863年)など。

19世紀後半になると官展であるサロンに縛られない創作活動が活発になる。印象派の初のグループ展は1874年に開催される。この時代の作品を見ていくと、より大胆に既存の絵画の価値観に挑戦していった流れがわかる。ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)、ポール・セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』(1902年)、グスタフ・クリムトの『接吻』(1907年)、アンリ・マティスの『ダンスII』(1909年)など。

第一次世界大戦(1914-18)前後には抽象絵画が生まれる。カンデンスキーの『コンポジションVII』 (1913年)、モンドリアンの新造形主義宣言(1920年)。シュールレアリスムは1920年代半ばのパリで生まれる。ダリの『記憶の固執』(1931年)。

2つの世界大戦を経て美術の中心はヨーロッパからニューヨークへと移る。マルセル・デュシャンは第一次世界大戦中にパリからニューヨークへ移り、『泉』(1917年)を発表する。モンドリアンも第二次世界大戦中にニューヨークへ移住している。ポップアートの中心はニューヨークとなる。ロイ・リキテンスタインの『た、たぶん(少女の絵)』(1965年)、アンディ・ウォーホールの『モンロー』(1967年)。


こうやってみると、社会的制約がなくなって画家が自由に作品を作れるようになった19世紀後半からは作品の時間関係を把握することは正直難しい。この時代を理解するには美術的なロジックを知る必要がある気がする。

『ジョブ理論』に書いてあるジョブの例

ジョブ理論』は、誰もが知っているであろう『イノベーションのジレンマ』を書いたクリステンセンの著書。それなりに有名だけど、イノベーションのジレンマほど有名ではないと思う。

ジョブ理論では、人々の購買の行動を「人は進歩するために商品・サービスを生活に引き入れる」と捉える。ここで「進歩」というのは人生でゴールに向かって進む行為を表していて、「ある特定の状況で人が成し遂げようとする進歩」をジョブと定義している。

ジョブは、よく使われる「ニーズ」よりもっと具体的で、なぜある特定の解決策が選ばれたかの理由が明確であるとされる。ジョブ理論では、ある商品・サービスを選ぶことを「雇用する」とよび、使うのをやめることを「解雇する」と呼ぶ。

と言っても、なんのことだか分からないと思うので、本書で出てきたジョブの例を(たくさん)列挙したいと思う。

ミルクシェイク (朝の通勤時)

長く退屈な朝の車での通勤中、気を紛らわせるものがほしい。さらに、10時から始まる会議のあいだに空腹を感じないように、小腹を満たせるものがいい。

このジョブがジョブ理論が作られたときの話で一番有名なエピソードだと思う。ジョブ理論の話になったとき、「あー、ミルクシェイクの」といえば、分かってる風にみえるはず。ちなみに、このジョブの競合相手は、 バナナ、ベーグル、ドーナツ、栄養バー、スムージー、コーヒー、など。

ミルクシェイク (夕方に子供と帰宅時)

子どもにいい顔をしてやさしい父親の気分を味わう

同じ商品、同じ顧客でも状況が違うとその商品が雇用されるジョブも異なる。ジョブが異なるので、この場合に適したミルクシェイクは朝とは異なるものになり得る。例えば、サイズは半分でいいかもしれない。このジョブの競合相手は、玩具店に立ち寄ること、自宅でバスケットボールをして子どもと遊ぶこと、など。食べ物である必要もない。

スナップチャット

口うるさい両親に邪魔されずに連絡をとり合いたい

このジョブは若者はいつの時代も持っていたジョブで、昔は、学校でメモを渡す、自室まで電話のコードを引っぱっていく、などが雇用されていたが、時代と共に若者に選ばれるソリューションは変わっていく。

サザンニューハンプシャー大学(SNHU)の通信過程

学び直しのジョブ。将来のキャリアアップのために今より立派な学歴が必要。青春の再経験は必要ない。求めるものは、利便性、サポート体制、資格取得、短期修了。

通信過程の学生の平均年齢は30歳、仕事と家庭へのコミットメントに加えて勉強の時間を捻出しようとしている。このジョブの最大の競合は「無消費」つまり、この顧客が大学で勉強することを諦めてしまうこと。SNHUはできる限り応募者が脱落しないようにプロセスを改善することで大きく成長した。

企業向けトレーニングサービス (フランクリン・コヴィー)

経営幹部に社内教育が必要不可欠であると知ってほしい。社内教育部門が会社の長期的なゴールに不可欠であると認めてほしい。

これは大企業向けのB2Bの例。大企業でトレーニングコースの導入選定をしている人事部門の人(サービスの購入者)が解決したいジョブは何かという話。

クイックブックス(会計ソフト

公認会計基準の複雑な仕組みを知りたくない。できるだけ楽に入出金したい。

機能を追加すればいいわけではないという話。このプロダクトもB2Bだが、小さい会社がターゲット。顧客は会計にできるだけ時間を使いたくないと思っている。競合相手は、帳簿をつけるためだけに人を雇う、スプレッドシートを使って帳簿を組み立てる、靴箱に領収書を放り込んで忘れてしまう、など。クイックブックスは、他の会計ソフトと比べて半分の機能しかもっていないソフトを倍の価格で売り出し成功した。

以下、ジョブの例のみをずらずらと列挙したい。

マーガリン

飲み込みやすいようにパンの耳や皮を湿らせる何かがほしい

調理中に食材を焦がさないようにする

小さい家への住み替えにフォーカスした建築会社

人生にとって深い意味をもつ何かを手放すことの不安を感じずに小さい家に転居したい。

オンライン教育ビデオ (カーン・アカデミー)

核となる概念を楽しく学びたい。両親に教えてもらったり、教師に補修を頼んだりするのはいや。

キンバリークラーク

恥ずかしさを感じず、尊厳を損なわずに、失禁用の商品を購入・使用したい

シンプルなオンラインバンク (INGダイレクト)

目標に向かって貯蓄することのたいせつさを子どもに教え、自分がよい父親だと感じたい

CVSミニッツクリニック

避けたいジョブ: 簡単な診察のあとに、やはり喉頭炎でしたと言われることが分かっている医者のとこへ何時間もかけて出かけること

アメリカンガールドール

(少女のジョブ) 自分の感情を表に出したり、アイデンティティ、自意識、文化的・人種的バックグラウンドを確認し、ついらいことがあっても乗り越えていけるという希望を得る

(母親のジョブ) 母娘で、何世代にもわたる女性たちの暮らしぶりや悩み、強さについて、豊かな会話の機会を持つこと

これは、商品の使用者と購入者が違うジョブを解決しようとしている例。

IKEA

明日までに新居の家具をそろえる必要がある。明後日からは仕事だから

IKEAは必ずしも安くないが何故成功しているかという話。

オンスター (GMの定額制アシスタントサービス)

運転中の心の平安。例えば、初めての場所にいて外が暗くなってきた。安全な道まで早く誘導してほしい。

デザレット・ニュース (ローカル新聞社)

もっと情報通になりたい、自分の知識にもっと自信をつけたい、自分の信念に忠実でありつづけ、家庭や地域社会に変化をもたらしたい。自分の価値観を反映したニュースをつうじて知識を豊かにする

たくさんのジョブの例を見て、分かったような分からないような感じかもしれないが、最後にジョブでない例を見て終わりにしたい。

ユーザーニーズ: ほぼ常に存在して、漠然としている。例えば「私は食べる必要がある」「健康でいたい」「定年後に備えて貯蓄する必要がある」など。

人生の指針: 常に存在し、生きていくこと全般にかかわるテーマ。「よい夫になりたい」「教会のよい信徒でありたい」「学生の勉学意欲を引き出せる存在でありたい」など。

特定のプロダクトでしか解決できないもの: 「350ミリリットルの使い捨て容器にはいったチョコレート味のミルクシェイクがほしい」。よく定義されたジョブはミルクシェイク(夕方)のように、プロダクトをまたがった幅広いソリューションがあり得る。

読書:『映画を早送りで観る人たち』

今の若者はオタクに憧れるという。〇〇オタという言葉がメディアでポジティブに使われているから、昭和の時代のネガティブなイメージがないのは感じていたけれど、「憧れる」というレベルにあるのは知らなかった。

著者によると、その原因は「個性的でなければならない」という彼らが受けてきた教育、世間からの圧だという。SMAPの『世界に一つだけの花』の歌詞「ナンバーワンよりオンリーワン」に象徴される、個性を大事にという価値観は、友達とのコミュニケーションから就職活動での履歴書に至るまであらゆるところに影響を与え、何かハマっているものがないといけないというプレッシャーになっているという。Z世代の親が大学生だった80年代、90年代の、主流の流行りに乗っかっていればいいという(安直な)時代とは大きく違う。

状況を更に悪くしているのは、インターネットとソーシャルメディアで、そこにはちょっと詳しいだけの自分とは比べ物にならないエキスパートが沢山存在する。そこまでの情熱も時間もお金もない自分はどうすればいいのか。そういうプレッシャーにさらされた彼らにとって、オタクに憧れるというのはある意味自然な感覚なのかもしれない。ちなみに彼らが憧れるのは博識を披露する研究系のオタクではなく、情熱を捧げられるものがあって「推し活動」をしているタイプのオタクだ。

ちなみに「推し」という言葉が流行る理由がここにある。「推し」は自分が一方的に好きであることの表明で、「オタク」と名乗った時の期待値の高さ、「にわか」批判を受けるリスクを回避することができるという。”論破”したいおじさんたちがウヨウヨいるTwitterは「もう私たちのメディアではない」らしい。

2022年のよかったものいろいろ

2022年も終わりということで、今年のよかったもの色々をまとめてみようと思います。

買ってよかったもの

買ってよかったものは、門馬英美さんのシルクスクリーン。春から初夏にかけて飾る絵が欲しくて買いました。緑の絵を飾ると、部屋が植物や花を飾ったような雰囲気になるのがよかったです。お値段もお手頃。

美味しかったもの

コロナ以前と比べると全然外食をしなくなってしまったけど、富山のレヴォはとても美味しかった。まだホテルリバーリトリート雅樂倶にあったころに一度だけ行ったことがあってその時も最高に美味しかったんだけど、今回は更にレベルが上がっているなぁと思いました。熊がめちゃくちゃ美味しかったです。(写真は、さるなしとチーズのデザート)

行ってよかった展覧会

東京国立博物館の国宝展。2回行きました。圧巻。

おもしろかった本

Die with Zero。人生100年とか言ってるけど、健康寿命は男性72歳、女性75歳で、お金を有意義に使える時間は意外と短い。この本に影響されてBucket List (死ぬまでにやりたいことリスト)を作りました。

リピートしたふるさと納税

こまがた農園のコシヒカリ。お米自体がとても美味しいんですが、更に良いのが、ふるさと納税にもかかわらず出荷が超早くて数日で家に届くところ。ちなみに、倍の値段の最上級クラスのお米も一回たのんでみたんですが、自分の舌では違いは分からず。

読書: 世界インフレの謎

現在の世界的なインフレはなぜ起きているのか。僕は単純に、コロナ対策でお金をばら撒きすぎたからお金がだぶついてインフレになったのだろうと思っていた。この理解は全然的外れだったらしい。

2020年にパンデミックが起きて世界中でロックダウンが起きた時、経済活動は停止して需要も供給も大きく下がった。コロナが終わって通常の経済活動が戻ってきた2022年以降、なぜ世界経済はコロナ前に戻らずに大きなインフレになったのか。「世界インフレの謎」は、その道のプロ中のプロがこの疑問を解説をしてくれている本で、とても面白かった。

インフレを理解するのに一番重要な概念は、インフレ率と失業率の関係を表すフィリップス曲線というものらしい。これは、

インフレ率 = インフレ予想 – a * 失業率 + X

という形で表されて、失業率とインフレ率は傾きが負の1次関数の関係になる(というか、過去のデータを1次関数で近似・モデル化している)。aが直線の傾きを表す係数になるが、過去のデータでは失業率が1%下がるとインフレ率が0.1%上がるという関係にあることが知られていた。

コロナ中は失業率は高くなりデフレとなったわけだが、経済が元に戻るとともに失業率は改善されていった。この時、インフレが起こることは想定内であった。想定外だったのは、2021年以降、過去の経験則と異なり失業率が1%下がるとインフレ率が1.4%も上がるようになってしまったことだった。(下図は、本書の図3-3を引用)

もし、aの傾きが2021年以降(なんらかの理由で)大きな値に変わったのだとしたら、今回のインフレも伝統的なアプローチで対応できる。つまり、利上げを行い経済活動のコストを上げ需要を抑制すれば失業率が上がり、インフレ率は(失業率1%あたり1.4%の割合で)下がっていくことになる。

もし、aの傾きは変わっていないとしたら困ったことになる。aが変わっていなかったら、失業率を10%上げてもインフレ率は1%しか下がらない。そうなると、インフレかつ不景気という最悪の状態になってしまう。

はたしてどっちなのか? 著者はaは変わっていないという見方をしている。aが大きくなったのではなく、ポストコロナの世界で供給が減ったことにより、上の式のXの部分が大きくなったのではないかというのが著者の仮説だ。

供給が減った理由として著者が上げている仮説は3つ。1) サービスからモノへの需要のシフト。stay homeでサービス(外食や旅行など) が不可能になって人々がお金をモノの購入に使うようになって、その変化がコロナ後も継続している。しかし、生産設備等はまだその需要に答えられていない。 2) 大量離職。シニアの早期リタイアなどコロナで減少した労働力が回復していない。3) 脱グローバル化。近年の地政学的リスクも相まって、グローバルサプライチェーンを縮小する動きが出ていて、それは生産性にはネガティブな影響をもたらしている。

さて、今後はどうなるのか? 企業は新しい環境に適応をして生産性が徐々に回復してくるかもしれない。そうなればXはコロナ以前くらいの値まで下がるかもしれない。もしかしたら、新しい世界ではXは以前までは戻らないかもしれない。そうなると、ある程度の高インフレというのが新しい常識となるのかもしれない。今後の経済ニュースは、生産・供給の回復という観点で見るとより正しい見方ができるのかもしれない。

(ちなみに、本書は日本のインフレとデフレの問題について論じていて、それも面白い議論なので、ぜひ読んでもらいたいです。)

読書: 『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』

予測コンテストという、様々なトピックで将来を予想しその正確さを競うコンテストがある。例えば、次のアメリカ大統領選挙の勝者は誰か、Brexitの国民投票結果は、ワールドカップサッカーの優勝国、などなど。このようなコンテストで常に高いパフォーマンスを出すスーパーフォーキャスターと呼ばれる人たちがいて、彼らの特徴の一つは、普通の参加者に比べてより頻繁に自分の意見を変えることらしい。平均的参加者は一つの課題で平均2回予測を改めるのに対して、スーパーフォーキャスターと呼ばれる人々は少なくとも4回予測を変更するという。

本書はタイトルにある通り、考え直すことの持つ力がメインテーマだ。言われてみればこれは当たり前に思えるかもしれない。一つの意見に固執するよりも、様々な意見に耳を傾けてベストな考えを選ぶ方が良いに決まっている。ただ、実際にそれを行うことが簡単ではないことは誰もが知っていることだと思う。本書は初めに、個人として今持っている考えを更新していけるようになるための考え方について議論している。そして次に、それをどうやって組織に適用していくかに議論が移る。具体的なエピソードが豊富で議論も面白いので、詳しい内容は是非実際に本を読んでほしい。

個人的に、本書を読んでいて面白かったのは、組織マネージメントのベストプラクティスというものがなぜ有効なのかを、このrethinkという枠組みで捉え直せたことだった。例えばダイバーシティが重要なのは、多様な背景を持つ人がメンバーにいることで今までになかった考えが提案される可能性が増えるからであり、また、ダイバーシティだけでは不十分でインクルージョン(心理的安全性と言っても良い)が重要なのは、個人が考えている多様な意見を議論の場に出せるような環境が必要だから、ということになる。ちなみにここは、心理的安全性でよく誤解されがちな点で、心理的安全性はハイパフォーマンスな組織を作るための方法論で、みんなが楽しく仕事がチームを作るノウハウではない (詳しくは『恐れのない組織』などを)。更に言えば、ダイバーシティもインクルージョンも組織として常に意見をアップデートしていくようになるための前提条件であって、それだけでは不十分ということも明らかだと思う。

読書: 実力も運のうち 能力主義は正義か?

マイケル・サンデルの2020年の本(邦訳は2021年)。原題は The Tyranny of Metrit。本書で議論されるのは、メリトクラシー(能力主義、もしくは功績主義)の問題点、特にメリトクラシーがもたらした社会の分断について。

アメリカ社会の分断の象徴は、2016年の大統領選挙だろう。自分は選挙の週にアメリカに出張していて、会社の同僚達の反応をよく覚えている。選挙の当日でさえ多くの(おそらくはヒラリー支持の)同僚は楽観的で選挙の情勢を特に気にかけている様子ではなかった。夕方のミーティング中に、ある人がトランプがリードしているというニュースを見て “shit” と声を漏らして初めて状況をみんなが知ったという位だった。

当時、フィルターバブルやエコーチェンバーとよく言われたけれど、この本によれば学歴の違いによる投票行動の差が実はとても大きく、大卒以上の学位をもつ人の70%がヒラリーに投票した一方で大卒の学位を持たない白人の2/3はトランプに投票をしていた。自分のいた職場で政治の話をする人は少ないとはいえ、普段周りにいる人のほとんどがヒラリー支持だったという同僚は多かったはずだ(そして彼らは選挙結果に驚いた)。

この分断の原因だと著者が主張するのがメリトクラシーだ。メリトクラシーは日本語では能力主義と訳されるが、社会的階層、人種、性別などではなく、個人の能力と功績によって評価され、高い地位を与えられ、それに応じた報酬を受けるべきだという社会システムを指す。人種や性別での差別のないこのシステムは、とても公平で「正しい」ものに思えるが、著者はそこが問題の根本原因だという。

何が問題かというと、このシステムでは「正しい」基準によって地位が決めれられる(と考えられる)ため、成功した人々は自分が高い地位について多くの報酬をもらうことは当然の結果だ(自分はそれに値する、deserved for)と考えるようになる。一方、このシステムで成功しなかった人は自分の責任でそうなったのだから、貧しさなどの結果はそれも仕方ないと思うようになる(社会がそう認識すると同時に、彼ら自身もそう思うようになる)。

しかし、表面上は仕方ないことと考えられるとしても、日々の貧しさ、将来への不安等々の非成功者の持つ不満は抑圧され、一方成功者は陰に陽に非成功者を見下すような態度を取る。その結果「能力主義は敗者に怒りと屈辱をもたらす」と著者は言う。その蓄積が社会の分断となり、上で述べたような選挙の結果となって現れたというのが著者の主張だ。

裕福な家庭の出身者の方がよりよい教育を受ける機会があるなどの不平等が現実には存在して、現状平等なメリトクラシーは実現していないし、その不平等を解決することは正しいのだが、ここでのポイントは、そのような不平等をすべて取り除くことは問題の解決にならないということだ。ひょっとすると不平等を取り除くことは事態をより悪化させるかもしれない。なぜなら、機会の平等は、結果に対する自己責任の要求をより強化するから。

最後の章で著者は、この問題を解決(緩和)するためのアイディアをいくつか述べている。例えば、大学入試に抽選制(テストによる足切り+くじによる抽選)を導入することで、学歴が自己の能力の反映という感覚を弱くする、など。しかし、正直言ってそれらのアイディアが本質的な解決策になる気がしない。成功したことで得られる金銭的利益の大きさと優越感を成功者とその予備軍が簡単に手放すとは思えない。となると、我々の生きる社会は、メリトクラシー以前の能力がある人間が正当な評価されない社会か、メリトクラシーの結果の階層による分断が起きた社会かという2択になるのかもしれない。どちらの社会がよいのかは分からないが、世界には後者の社会が増えていくことを想定しないといけないのかもしれない。そして、そのような社会で幸せに生きる方法は、バブルの中に閉じこもることなのかもしない。

読書: 『現代ロシアの軍事戦略』

現代ロシアの軍事戦略』最近よくテレビで見る小泉悠氏の新書。

この本の話のベースにあるのは、ロシアの軍隊は実は強くないという事実。その「弱い」ロシアがいかにその軍事戦略を組み立てているかを読み解くのがこの本の主題。

もちろんロシアは絶対的に見れば今でも軍事大国であるが、ここでいう「弱い」というのは対NATOという相対的な軍事力で、特に通常兵器(非核兵器)においてはNATOに大きく差をつけられている。軍事力がその国の経済力と科学技術力に支えられていることを考えると、GDPが世界の11位、全世界の2%以下のGDPしかないロシアの軍事力がもはや強大ではないというのは当然なのかもしれない。

その事実を前提とすると、ロシアがいわゆるハイブリッド戦争を行う必然性もわかるし、核の使用を国家元首がちらつかせる理由も理解できる。特に核使用の戦略については通常戦力の拮抗の影響が大きく、本書によると、1983年にはソ連は核の先制不使用を宣言すらしているらしい。それは当時のワルシャワ条約機構はNATOより通常戦力で優位に立っていたからで、逆にNATO側が通常兵器での戦闘で劣勢になったときに核使用をする戦略を立てていたらしい。この構図が今では逆になっているわけだ。

30年前に世界は冷戦の終結を祝ったわけだけれど、冷戦がロシアという貧しい核大国を残して終わってしまったことに今の不幸な現実があるのかもしれない。。

最近読んだアート関係の本

備忘録代わりに。

アートと暮らす日々」(奥村 くみ)

アートアドバイザーというのを仕事にしている方が書いた本。季節ごとにアート作品を変えて室内を飾っている例が写真で紹介されている。自分は家の中がごちゃごちゃするのが嫌で置物とかは買わないと決めていたけど、飾る場所を一箇所に決めてそこに飾るものを入れ替えればいいのだと思うと、いろいろ買ってみようという気になってきた。

画商のこぼれ話」(種田 ひろみ)

おいだ美術のオーナーの方のエッセイ。エッセイといっても会話形式のエピソード紹介が多くてちょっと異色かも。おいだ美術の話より、著者のお父さんの知り合いが骨董で騙された話が多い 🙂

現代アートを買おう!」(宮津 大輔)

会社員の著者が現代アート作品の収集家になった話。50万円の草間彌生の作品を分割ローンで売ってもらったエピソードから始まる、普通の人でもアートコレクターになれるよ、というノリの本。著者はアートコレクションを続けて、自分の年収より高額な500万円の草間彌生の大きな作品をこれもローンで買う。と、この辺りまではまぁ普通の人の話なんだけど、著者は様々なアーティストと交流して、遂には自宅をアーティストに設計してもらって、その家にアーティストたちに作品を作ってもらう。その中には奈良美智さんの襖絵があったりして、最終的に全然「普通の人」の話でなくなっていっているのがこの本の見どころ 🙂 ちなみに、500万円で買った草間の作品は今では5億円くらいの価値はあるらしい。

宿題の絵日記帳」(今井 信吾)

今井麗さんのお父さんが子どもたちの日常描いた絵日記をまとめて出版したもの。ほのぼの。

完売画家」(中島 健太)

この本で勉強になったのは、絵の値段を1号あたりの単価で測るというもの。絵がギャラリーで最初に売られるときは、絵の出来とかに関係なく基本的に1号あたり単価xサイズ(号数)で売られるらしい。駆け出しの画家は、1号あたり2-3万円で、これが食べていける(年収300万円とか)ギリギリらしい。ちなみに、著者の中島さんは1号あたり10万円。不動産を坪単価で比べると分かりやすいのと同じで、とても見通しがよくなる。

芸術起業論」(村上 隆)

(現代)芸術というのは自分の作品の意味をこれまでの芸術の歴史の中に位置づけて、そのコンテキストの中で新しい価値を主張・説得できないといけないという話。ちなみに、説得する相手は世界(欧米)のアート関係者。村上さんはSuperflatというコンセプトでそれをやった。事実、彼以降に同じようなコンセプトで売れているアーティストが多数いることを考えると説得力がある。

“もの派”の起源―石子順造・李禹煥・グループ“幻触”がはたした役割」(本阿弥 清)

この本の本題以前の、そもそも「もの派」というのは何なのか?ということの勉強になった。「もの派」は絵画系の若手グループの反芸術運動のひとつ。反芸術運動の必然で長続きするタイプの活動ではなく、1968年前後数年間の活動で終わる。また、立体作品がほとんどだったので、残った作品・記録が少ない。