最近読んだアート関係の本

備忘録代わりに。

アートと暮らす日々」(奥村 くみ)

アートアドバイザーというのを仕事にしている方が書いた本。季節ごとにアート作品を変えて室内を飾っている例が写真で紹介されている。自分は家の中がごちゃごちゃするのが嫌で置物とかは買わないと決めていたけど、飾る場所を一箇所に決めてそこに飾るものを入れ替えればいいのだと思うと、いろいろ買ってみようという気になってきた。

画商のこぼれ話」(種田 ひろみ)

おいだ美術のオーナーの方のエッセイ。エッセイといっても会話形式のエピソード紹介が多くてちょっと異色かも。おいだ美術の話より、著者のお父さんの知り合いが骨董で騙された話が多い 🙂

現代アートを買おう!」(宮津 大輔)

会社員の著者が現代アート作品の収集家になった話。50万円の草間彌生の作品を分割ローンで売ってもらったエピソードから始まる、普通の人でもアートコレクターになれるよ、というノリの本。著者はアートコレクションを続けて、自分の年収より高額な500万円の草間彌生の大きな作品をこれもローンで買う。と、この辺りまではまぁ普通の人の話なんだけど、著者は様々なアーティストと交流して、遂には自宅をアーティストに設計してもらって、その家にアーティストたちに作品を作ってもらう。その中には奈良美智さんの襖絵があったりして、最終的に全然「普通の人」の話でなくなっていっているのがこの本の見どころ 🙂 ちなみに、500万円で買った草間の作品は今では5億円くらいの価値はあるらしい。

宿題の絵日記帳」(今井 信吾)

今井麗さんのお父さんが子どもたちの日常描いた絵日記をまとめて出版したもの。ほのぼの。

完売画家」(中島 健太)

この本で勉強になったのは、絵の値段を1号あたりの単価で測るというもの。絵がギャラリーで最初に売られるときは、絵の出来とかに関係なく基本的に1号あたり単価xサイズ(号数)で売られるらしい。駆け出しの画家は、1号あたり2-3万円で、これが食べていける(年収300万円とか)ギリギリらしい。ちなみに、著者の中島さんは1号あたり10万円。不動産を坪単価で比べると分かりやすいのと同じで、とても見通しがよくなる。

芸術起業論」(村上 隆)

(現代)芸術というのは自分の作品の意味をこれまでの芸術の歴史の中に位置づけて、そのコンテキストの中で新しい価値を主張・説得できないといけないという話。ちなみに、説得する相手は世界(欧米)のアート関係者。村上さんはSuperflatというコンセプトでそれをやった。事実、彼以降に同じようなコンセプトで売れているアーティストが多数いることを考えると説得力がある。

“もの派”の起源―石子順造・李禹煥・グループ“幻触”がはたした役割」(本阿弥 清)

この本の本題以前の、そもそも「もの派」というのは何なのか?ということの勉強になった。「もの派」は絵画系の若手グループの反芸術運動のひとつ。反芸術運動の必然で長続きするタイプの活動ではなく、1968年前後数年間の活動で終わる。また、立体作品がほとんどだったので、残った作品・記録が少ない。

読書: 『アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方』

アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方」(デイビッド ブルックス)。邦訳が2002年なので20年くらい前の本。橘玲氏がよく言及するので気になって読んでみた。

ボボズというのは、Bourgeois Bohemiansの最初の二文字をとって作ったBoBoという著者の造語。ここでいうBourgeois (ブルジョワジー)というのは、共産主義の人が侮蔑的に資本家を指すときに使う言葉ではなくて、市民革命以降に経済的な力を持った中産/上流階級で自らビジネスをすることで経済的な基盤を築いている層のこと。一方Bohemian(ボヘミアン)というのは、いわゆる知識階級。お金は持っていないけれど、批評、文学、芸術等の分野で言論をリードしていた層である。歴史的にはこの2つのグループは対立していて、大雑把にいうと、ブルジョワジーは右翼、ボヘミアンは左翼に分類されていた。この対立は80年代ごろに(部分的に)終わって、両方を取り込んだ人々(社会階層)が新たに生まれた、というのが著者の主張である。

このブルジョワジーとボヘミアンの融合の原因は2つある。一つは、ブルジョワジーのボヘミアン化 (金持ちの高学歴化)。大学進学率の大幅な上昇によってビジネス界での成功者の多くは一流大学の出身者になっている。もう一つは、ボヘミアンのブルジョワジー化(知識人の金持ち化)。例えば批評家として成功するとメディアに露出し講演会に呼ばれ、金銭的な成功を収めるようになってきた。この高等教育を受け、金銭的にも成功した社会層を著者はBourgeois Bohemians (Bobos)と名付けた。

この本にはBobosがどのようなタイプの人々なのかが anecdotal に描かれている。彼らは能力主義を正しいことと思い、自分と同じように洗練された人々に囲まれることに喜ぶ。下品なお金の使い方を嫌う一方で、自分に必要なモノ・経験には出費を惜しまない。多様性を好み、自分以外の考えに不寛容な人には懐疑的。忍耐と礼儀を好む。国レベルでの政治に関わることは好まないが、地域社会への貢献は重要視する。懐古趣味があり古い時代のものを大事にする。宗教に対しては左翼的ボヘミアンと比べて寛容で価値を認める一方で、法王や司祭などの宗教的権威には否定的。極端な個人主義には距離を置き、自分の子供の教育には大いに関わる。

こうやってBobosの特徴を見ていくと、自分もしくは自分の周囲にいる人に当てはまる点がかなり多い気がする。この本はアメリカの社会の分析として書かれているが、大学進学率の上昇などは世界的に起きているので、日本の社会にもかなり当てはまるのではないだろうか。

最後の章で著者は今後についても書いている。この本が書かれた当時は、共和党と民主党の差がなくなっていった時代だった。左翼と右翼の対立は終わり、左翼と右翼の融合を受け入れたグループ(bobos)とそれを拒否するグループの争いが、共和党・民主党それぞれで起きていると著者は指摘した。著者は、経済的に恵まれていてより柔軟な、bobosの支持するところの中道が有利であるという見立てであったが、最近のアメリカの政治情勢をみるとこれとは逆のことが起きているのでその予想は外れたことになる(が、分析フレームワークとしては的確だったと思う)。

また自らをboboだと自認する著者は、Bobosの精神生活は生ぬるく厳しさにかけ、国のレベルのリーダーシップの責任を取っていないと認め、今後bobosを否定する新しい世代が出現するだろうと言っている。具体的には、

事実、間もなく、われわれの融合的態度、われわれの曖昧な合理性、われわれの半分あれ、半分これ、といった生き方に嫌気がさす世代が現れるだろう。彼らはもう少し浄化された純粋さを、物質主義の代わりに情熱を、小さな道徳心の代わりに正統主義を要求するかもしれないのだ。

と述べている。これはまさにGen Zの持つ特徴といえるのではないだろうか。

2020年代の社会を分析した最新の本ではないけれども、現代社会のベースとなっている社会を分析した、とても面白い本だったと思う。