読書: 実力も運のうち 能力主義は正義か?

マイケル・サンデルの2020年の本(邦訳は2021年)。原題は The Tyranny of Metrit。本書で議論されるのは、メリトクラシー(能力主義、もしくは功績主義)の問題点、特にメリトクラシーがもたらした社会の分断について。

アメリカ社会の分断の象徴は、2016年の大統領選挙だろう。自分は選挙の週にアメリカに出張していて、会社の同僚達の反応をよく覚えている。選挙の当日でさえ多くの(おそらくはヒラリー支持の)同僚は楽観的で選挙の情勢を特に気にかけている様子ではなかった。夕方のミーティング中に、ある人がトランプがリードしているというニュースを見て “shit” と声を漏らして初めて状況をみんなが知ったという位だった。

当時、フィルターバブルやエコーチェンバーとよく言われたけれど、この本によれば学歴の違いによる投票行動の差が実はとても大きく、大卒以上の学位をもつ人の70%がヒラリーに投票した一方で大卒の学位を持たない白人の2/3はトランプに投票をしていた。自分のいた職場で政治の話をする人は少ないとはいえ、普段周りにいる人のほとんどがヒラリー支持だったという同僚は多かったはずだ(そして彼らは選挙結果に驚いた)。

この分断の原因だと著者が主張するのがメリトクラシーだ。メリトクラシーは日本語では能力主義と訳されるが、社会的階層、人種、性別などではなく、個人の能力と功績によって評価され、高い地位を与えられ、それに応じた報酬を受けるべきだという社会システムを指す。人種や性別での差別のないこのシステムは、とても公平で「正しい」ものに思えるが、著者はそこが問題の根本原因だという。

何が問題かというと、このシステムでは「正しい」基準によって地位が決めれられる(と考えられる)ため、成功した人々は自分が高い地位について多くの報酬をもらうことは当然の結果だ(自分はそれに値する、deserved for)と考えるようになる。一方、このシステムで成功しなかった人は自分の責任でそうなったのだから、貧しさなどの結果はそれも仕方ないと思うようになる(社会がそう認識すると同時に、彼ら自身もそう思うようになる)。

しかし、表面上は仕方ないことと考えられるとしても、日々の貧しさ、将来への不安等々の非成功者の持つ不満は抑圧され、一方成功者は陰に陽に非成功者を見下すような態度を取る。その結果「能力主義は敗者に怒りと屈辱をもたらす」と著者は言う。その蓄積が社会の分断となり、上で述べたような選挙の結果となって現れたというのが著者の主張だ。

裕福な家庭の出身者の方がよりよい教育を受ける機会があるなどの不平等が現実には存在して、現状平等なメリトクラシーは実現していないし、その不平等を解決することは正しいのだが、ここでのポイントは、そのような不平等をすべて取り除くことは問題の解決にならないということだ。ひょっとすると不平等を取り除くことは事態をより悪化させるかもしれない。なぜなら、機会の平等は、結果に対する自己責任の要求をより強化するから。

最後の章で著者は、この問題を解決(緩和)するためのアイディアをいくつか述べている。例えば、大学入試に抽選制(テストによる足切り+くじによる抽選)を導入することで、学歴が自己の能力の反映という感覚を弱くする、など。しかし、正直言ってそれらのアイディアが本質的な解決策になる気がしない。成功したことで得られる金銭的利益の大きさと優越感を成功者とその予備軍が簡単に手放すとは思えない。となると、我々の生きる社会は、メリトクラシー以前の能力がある人間が正当な評価されない社会か、メリトクラシーの結果の階層による分断が起きた社会かという2択になるのかもしれない。どちらの社会がよいのかは分からないが、世界には後者の社会が増えていくことを想定しないといけないのかもしれない。そして、そのような社会で幸せに生きる方法は、バブルの中に閉じこもることなのかもしない。

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