読書: 『現代ロシアの軍事戦略』

現代ロシアの軍事戦略』最近よくテレビで見る小泉悠氏の新書。

この本の話のベースにあるのは、ロシアの軍隊は実は強くないという事実。その「弱い」ロシアがいかにその軍事戦略を組み立てているかを読み解くのがこの本の主題。

もちろんロシアは絶対的に見れば今でも軍事大国であるが、ここでいう「弱い」というのは対NATOという相対的な軍事力で、特に通常兵器(非核兵器)においてはNATOに大きく差をつけられている。軍事力がその国の経済力と科学技術力に支えられていることを考えると、GDPが世界の11位、全世界の2%以下のGDPしかないロシアの軍事力がもはや強大ではないというのは当然なのかもしれない。

その事実を前提とすると、ロシアがいわゆるハイブリッド戦争を行う必然性もわかるし、核の使用を国家元首がちらつかせる理由も理解できる。特に核使用の戦略については通常戦力の拮抗の影響が大きく、本書によると、1983年にはソ連は核の先制不使用を宣言すらしているらしい。それは当時のワルシャワ条約機構はNATOより通常戦力で優位に立っていたからで、逆にNATO側が通常兵器での戦闘で劣勢になったときに核使用をする戦略を立てていたらしい。この構図が今では逆になっているわけだ。

30年前に世界は冷戦の終結を祝ったわけだけれど、冷戦がロシアという貧しい核大国を残して終わってしまったことに今の不幸な現実があるのかもしれない。。

最近読んだアート関係の本

備忘録代わりに。

アートと暮らす日々」(奥村 くみ)

アートアドバイザーというのを仕事にしている方が書いた本。季節ごとにアート作品を変えて室内を飾っている例が写真で紹介されている。自分は家の中がごちゃごちゃするのが嫌で置物とかは買わないと決めていたけど、飾る場所を一箇所に決めてそこに飾るものを入れ替えればいいのだと思うと、いろいろ買ってみようという気になってきた。

画商のこぼれ話」(種田 ひろみ)

おいだ美術のオーナーの方のエッセイ。エッセイといっても会話形式のエピソード紹介が多くてちょっと異色かも。おいだ美術の話より、著者のお父さんの知り合いが骨董で騙された話が多い 🙂

現代アートを買おう!」(宮津 大輔)

会社員の著者が現代アート作品の収集家になった話。50万円の草間彌生の作品を分割ローンで売ってもらったエピソードから始まる、普通の人でもアートコレクターになれるよ、というノリの本。著者はアートコレクションを続けて、自分の年収より高額な500万円の草間彌生の大きな作品をこれもローンで買う。と、この辺りまではまぁ普通の人の話なんだけど、著者は様々なアーティストと交流して、遂には自宅をアーティストに設計してもらって、その家にアーティストたちに作品を作ってもらう。その中には奈良美智さんの襖絵があったりして、最終的に全然「普通の人」の話でなくなっていっているのがこの本の見どころ 🙂 ちなみに、500万円で買った草間の作品は今では5億円くらいの価値はあるらしい。

宿題の絵日記帳」(今井 信吾)

今井麗さんのお父さんが子どもたちの日常描いた絵日記をまとめて出版したもの。ほのぼの。

完売画家」(中島 健太)

この本で勉強になったのは、絵の値段を1号あたりの単価で測るというもの。絵がギャラリーで最初に売られるときは、絵の出来とかに関係なく基本的に1号あたり単価xサイズ(号数)で売られるらしい。駆け出しの画家は、1号あたり2-3万円で、これが食べていける(年収300万円とか)ギリギリらしい。ちなみに、著者の中島さんは1号あたり10万円。不動産を坪単価で比べると分かりやすいのと同じで、とても見通しがよくなる。

芸術起業論」(村上 隆)

(現代)芸術というのは自分の作品の意味をこれまでの芸術の歴史の中に位置づけて、そのコンテキストの中で新しい価値を主張・説得できないといけないという話。ちなみに、説得する相手は世界(欧米)のアート関係者。村上さんはSuperflatというコンセプトでそれをやった。事実、彼以降に同じようなコンセプトで売れているアーティストが多数いることを考えると説得力がある。

“もの派”の起源―石子順造・李禹煥・グループ“幻触”がはたした役割」(本阿弥 清)

この本の本題以前の、そもそも「もの派」というのは何なのか?ということの勉強になった。「もの派」は絵画系の若手グループの反芸術運動のひとつ。反芸術運動の必然で長続きするタイプの活動ではなく、1968年前後数年間の活動で終わる。また、立体作品がほとんどだったので、残った作品・記録が少ない。

読書: 『アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方』

アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方」(デイビッド ブルックス)。邦訳が2002年なので20年くらい前の本。橘玲氏がよく言及するので気になって読んでみた。

ボボズというのは、Bourgeois Bohemiansの最初の二文字をとって作ったBoBoという著者の造語。ここでいうBourgeois (ブルジョワジー)というのは、共産主義の人が侮蔑的に資本家を指すときに使う言葉ではなくて、市民革命以降に経済的な力を持った中産/上流階級で自らビジネスをすることで経済的な基盤を築いている層のこと。一方Bohemian(ボヘミアン)というのは、いわゆる知識階級。お金は持っていないけれど、批評、文学、芸術等の分野で言論をリードしていた層である。歴史的にはこの2つのグループは対立していて、大雑把にいうと、ブルジョワジーは右翼、ボヘミアンは左翼に分類されていた。この本で著者は、この対立は80年代ごろに(部分的に)終わって、両方を取り込んだ人々(社会階層)が新たに生まれたと主張する。

このブルジョワジーとボヘミアンの融合の原因は両方のグループにあって、ブルジョワジー側では、大学進学率の大幅な上昇によって、ビジネス界での成功者の多くは一流大学の出身者になっている(ブルジョワジーのボヘミアン化)。一方、ボヘミアンも例えば批評家として成功するとメディアに露出し講演会に呼ばれ、金銭的な成功を収めるようになってきた(ボヘミアンのブルジョワジー化)。この高等教育を受け、金銭的にも成功した層をBourgeois Bohemians (Bobos)と呼んでいる。

この本にはBobosがどのようなタイプの人々なのかが anecdotal に描かれている。彼らは能力主義を正しいことと思い、自分と同じように洗練された人々に囲まれることに喜ぶ。下品なお金の使い方を嫌う一方で、自分に必要なモノ・経験には出費を惜しまない。多様性を好み、自分以外の考えに不寛容な人には懐疑的。忍耐と礼儀を好む。国レベルでの政治に関わることは好まないが、地域社会への貢献は重要視する。懐古趣味があり古い時代のものを大事にする。宗教に対しては左翼的ボヘミアンと比べて寛容で価値を認める一方で、法王や司祭などの宗教的権威には否定的。極端な個人主義には距離を置き、自分の子供の教育には大いに関わる。

こうやってBobosの特徴を見ていくと、自分もしくは自分の周囲にいる人に当てはまる点がかなり多い気がする。この本はアメリカの社会の分析として書かれているが、大学進学率の上昇などは世界的に起きているので、日本の社会にもかなり当てはまるのではないだろうか。

最後の章で著者は今後についても書いている。この本が書かれた当時は、共和党と民主党の差がなくなっていった時代だった。左翼と右翼の対立は終わり、左翼と右翼の融合を受け入れたグループ(bobos)とそれを拒否するグループの争いが、共和党・民主党それぞれで起きていると著者は指摘した。著者は、経済的に恵まれていてより柔軟な、bobosの支持するところの中道が有利であるという見立てであったが、最近のアメリカの政治情勢をみるとこれとは逆のことが起きているのでその予想は外れたことになる(が、分析フレームワークとしては的確だったと思う)。

また自らをboboだと自認する著者は、Bobosの精神生活は生ぬるく厳しさにかけ、国のレベルのリーダーシップの責任を取っていないと認め、今後bobosを否定する新しい世代が出現するだろうと言っている。具体的には、

事実、間もなく、われわれの融合的態度、われわれの曖昧な合理性、われわれの半分あれ、半分これ、といった生き方に嫌気がさす世代が現れるだろう。彼らはもう少し浄化された純粋さを、物質主義の代わりに情熱を、小さな道徳心の代わりに正統主義を要求するかもしれないのだ。

と述べている。これはまさにGen Zの持つ特徴といえるのではないだろうか。

2020年代の社会を分析した最新の本ではないけれども、現代社会のベースとなっている社会を分析した、とても面白い本だったと思う。

読書: 『2020年 マンション大崩壊』

こんな街に「家」を買ってはいけない』という本がなかなか面白かったので、同じ著者のマンションについての本を読んでみました。ちなみに、タイトルにある「2020年」というのは多分本をcatchyにするためのもので、この本のメインテーマは特に2020年問題というわけではないです。あとこの本もKindleの試し読みで導入部分がそれなりに長く読めます。

本の中で最もページを割いて説明されるのが老朽化したマンションの問題。建築基準法とか排給水管が埋め込まれて交換不能になっている物件とかのハード面の問題もあるけれど、より大きな問題は住人の高齢化。これは前著と共通のテーマであるけれど、戸建てと比べてマンションというより関係性の深い共同体で高齢化はより深刻な問題となりうる。例えば、必要な大規模修繕が出費を抑えたい年金生活者の反対で実施できなかったり、様々な理由で管理費が滞納されたり(築30年以上のマンションの23.5%には管理費を1年以上滞納している住人がいる)、痴呆症の独居老人の問題、相続後放置される空き部屋問題、などなど。

自分はそんな古いマンションを買うつもりはないから関係ない、というのはこの議論のポイントではない。たとえ今新築のマンションを買っても30年後にはそのマンションは「古いマンション」となるのだから。30年後、まわりには最新設備の新築マンションが建設される中、自分は築30年のマンションに住み続けるのか。室内の設備はリフォームをすれば最新のものに交換できるけれども、共有部分の更新は住民の合意がとれないかもしれない。つまり、資産を共同所有していることにより、他人の持つリスクを自分も背負い込むことになっているというのがマンション所有の問題だと著者は指摘する。

もちろん全てのマンションに問題があるわけではない。例えば広尾ガーデンヒルズは約30年前に分譲された大規模マンションで、分譲時の坪単価は250万円から420万円。それが現在(執筆時なので2015年ごろ)は400万円から600万円となっているらしい。資産価値が落ちていないと同時に、きちんと管理され空き部屋問題などとも無縁だ。このような物件を買うことができれば、30年後も問題は少なく必要ならば売却することも可能だろう。ちなみに、本書すすめる安全な物件は、ひとつは青山、麻布、広尾などのブランドエリア、もう一つは駅前の物件。こういう物件を買って30年後の価値が保たれていることを期待するというはひとつの戦略かもしれない。

読後の感想: マンションを買うとしたら25〜30年後にそのマンションをどうするかという具体的なプランを描いてから買うべきだと思いました。そのまま築30年のマンションに住み続けるのか、売って住み替えるのか。戸建てについて同じことは言えるけど、建物を壊して更地にできる戸建てと違ってマンションは売れなくなるリスクがあるので。。

読書:『こんな街に「家」を買ってはいけない』

(今年は読んだ本のメモをひっそりとこのブログに書いていこうと思っています)

この本では、家を買ってはいけない場所としていわゆるニュータウンを主に取り上げている。ここでいうニュータウンは1970年代80年代に開発された、東京から1時間くらいかかる駅から更にバスを使う必要のあるような住宅地のこと。Kindleの試し読みでニュータウンの現状がどうなっているかを読むことができるが、基本的に老人の街となってしまい資産価値も大きく下がってしまっている(バブル時に1.5億円だった家が今では3000万円でも売れないといった感じ)。なぜそんなことになってしまったかは、端的にいうと社会が変化したから。共働きが当たり前になって1.5時間の通勤時間は若い世帯にとっては論外。それと同時に規制緩和により都心に多くのタワマンが比較的リーズナブルな価格帯で大量に供給されたので、ニュータウンの物件は見向きもされなくなった。何十年ものローンで都心から1.5時間も離れたところに一戸建てを買った判断を後知恵で批判することは簡単だけど、土地は上がり続けると信じられていた時代に今家を買わないと将来は今の値段では買えなくなってしまう、そして地価は上がるからローンを返せば資産になる、というストーリーを信じたのはそれほど不思議なことでもないと思う。

さて、この教訓を踏まえて今どこに家を買えばよいのか。どこに家を買ったら将来のニュータウンになってしまうリスクがあるのか。この本はコロナ前の2016年に書かれているので、ある意味答え合わせをしながら読むことができる。著者の主張の一つは家の価値をどう判断するかということ。家の金銭的な価値と、自分にとっての効用の価値とを明確に区別して考えるべきだとアドバイスする。今資産価値があるから我慢して住んでいたら(ニュータウンのように)25年後の世界では価値がなくなってしまったというのは大きな悲劇。資産価値を求めて物件を買おうとしているのか、今の生活にプラスになる家を買おうとしているのかを明確に意識するとよい。著者は基本的に後者を重視するように勧めているいるが、そこは個人の判断が必要なところだと思う。ちなみに、具体的な場所もいくつか書いていて、ひとつはブランド住宅街。青山、麻布、番町、など。ここは昔からの高級住宅街で今後も価値が保たれることが期待できる。もう一つは、人口流入がある地域。人口が増えればゴーストタウン化することはないから。本書では「人口増加自治体・総合ランキング」というのを参照している。また、著者はいわゆるタワマンは将来のニュータウンになるんじゃないかと危惧している。

この資産価値と効用価値の話は、美術品を買う時のアナロジーで理解できるかもしれない。今後値上がりしますよと言われて趣味じゃない絵を買っていたら人気が落ちて値下がりするよりも、資産価値を忘れて自分の好きな絵を飾っていた方が幸せじゃないかという話。(ただ、高い絵を買って人に見せびらかすことで満足をする人もいるので、そういう人にとっては高いものを買うことに効用価値があったりしてムズカシイ :))

読んだ感想としては、資産価値のことを一旦忘れて、自分はどんな生活がしたいのかと考えるのが、当たり前だけど正しい第一歩だと思った。コロナ後の世界、どこに住んでどういう生活を送るかの選択肢はこれまでと比べ物にならなほど広くなったと思うので。

SNSからいかに自分を守るか? –『スマホ脳』

著者のAnders Hansenはスウェーデンの精神科医。スマートフォンが人間に与えている害とそれらへの対処法を様々な学術研究を参照しながら紹介している。原題はInsta-Brainで、(タイトルから分かる通り)特にSNSの悪影響を詳しく議論している。

著者は単純なテクノロジー懐疑主義者ではなく、人間の進化がスマートフォンとSNSの変化に追いついていないことから起こる弊害をなるべる科学的に示そうとしている。人間の生物としての進化の速度を考えると、人間の脳と体は我々の先祖がサバンナで生活していた時に最適化されていて、現代の生活には必ずしも最適ではないと主張する。例えば、高カロリーのものがあったらできるだけ沢山食べるという反応は、食糧が次にいつ手に入るか分からなかったサバンナ時代には正しい生存戦略だったが、現代では肥満や糖尿病の原因となっている。

現代の大人はスマートフォンに1日平均4時間を費やしている。2007年のiPhone登場以来、高々この10年の変化だ。それと共に、若者の不眠や鬱が有意に増えている。例えばスウェーデンでは、睡眠障害の診断を受けた若者(15-24歳)の数が2007年から5倍に増えている。著者はスマートフォンとSNSが原因ではないかと考えている。

スマートフォンの睡眠への影響は面白く、スマートフォンが寝室にあるだけで睡眠が妨げられるという実験結果がある。小学生高学年の被験者2000人にベッド脇のテーブルにスマートフォンを置いてもらったところ、置かなかった被験者にくらべて睡眠時間が21分短かったという結果が出ている。

著者は、SNSが人間の脳の報酬系を刺激するように非常にうまくデザインされていることを指摘する。例えば、ドーパミンはヒトに行動する動機を与える報酬系で、新しいことを学ぶと脳はドーパミンを放出する。SNSはスクロールするだけで簡単に新しいことを知る機会を与えてくれるため、脳はこれを止めることができない。これらの脳の仕組みは、人間が100人程度のコミュニティで生活をしていて、そのコミュニティから仲間外れになることが命にかかわるリスクだった時代に形作られたもので、今となっては脳のバグであるが、それをSNSによってうまくハックされているということだ。著者は、意識的にSNSを遮断しなければ、生活に害が出るレベルまで使い続けるようになってしまうと警告している。

最後に著者のアドバイスのうち自分が実践してみたいと思えたポイントをまとめておく。

  • 自分のスマートフォン利用時間を把握する(iPhoneならシステム設定のスクリーンタイムで可能)。
  • 目覚まし時計と腕時計を買う。スマートフォンを寝室に置かない。
  • 仕事以外でスマートフォン他のスクリーンを使う時間を最大2時間とする。
  • アプリの通知を停止する (少なくともSNSの通知は停止する)。
  • 寝る1時間前には、スマートフォン・タブレット・電子書籍の電源を切る。
  • スマートフォンからはSNSアプリを削除して、SNSはパソコンだけで使う。
  • 週3回合計45分の運動をする。心拍数が上がる(息が切れて汗をかく)レベルの運動が望ましい。

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関西弁は英語に近い? —「複数の日本語 方言からはじめる言語学」

日本の方言がもつ「標準語」とは違った文法を紹介した本。方言というとアクセントや独特な語彙に目が行きがちだけど、方言には異なる文法がいろいろあって、標準語では表現できないことを表現できることも多いらしい。

最初の例は進行形と完了形。標準語では、進行形の”He was running.” は「彼は走っていた」、完了形の”He had injured.” は「彼は傷ついていた」と、同じ「していた」(現在形なら「している」)を使って表現される。我々は無意識に使っているけれど、「〜している」が付く動詞によって、進行形の意味になったり、完了の意味になったりしている。ところが、単語によっては両方の意味になり得るものもあって、例えば、「桜の花が散っている」は、「花が散りつつある」という進行の意味にも、「地面に桜が散って落ちている」の完了の意味にも解釈できてしまう。ところが、西日本の方言ではこれらを区別できることが多い。例えば宇和島方言では、進行形は「シヨル」、完了は「シトル」と別の表現になっていて、「桜の花が散りよる」と「桜の花が散っとる」と自然に進行形と完了形を区別できる。このように区別のできる文法を持つ言語は、英語も含めて一般的で、区別のできない日本語の標準語はむしろ特殊だそうだ。

もうひとつ面白かった例を紹介すると、可能・不可能の表現。標準語の「食べられない」が、大阪では「よー食べん」と「食べられへん」と異なるニュアンスが伝えられる。前者は「納豆嫌いやし、えらい勧められたけどよー食べんかった」のように自分の能力的に不可能であったこと、後者は「納豆好きなんやけど、時間なかったし食べられへんかった」のように状況的に不可能であったことを示すことができる。そして、(再びの)宇和島方言では、4種類の不可能表現が存在するという。「食べれなんだ」(状況による非実現)「よー食べなんだ」(不実行)「食べれれなんだ」(努力したが非実現)「食べられん」(規範として不可能)。こういう区別のある言語の話者からすると、標準語は表現能力が低くて不便だというのも理解できます。

本書は全部で10章あって、上で紹介したような、方言にあって標準語に存在しない文法の例が紹介されている。著者は言語学の専門家なので、諸外国語(コンゴ語、メキシコの方言、ブルガリア語など)の例も比較対象として所々に出てくる。読み進めていくと、日本の方言にヘンな文法が存在するというのではなくて、世界の言語にある豊かな文法表現(の一部)が日本語にも存在するということを感じさせてくれる。そういう意味でも、とても良い本でした。

昭和30年代の西麻布 — 「麻布いわ田 魚魚物語」

この本は、西麻布1丁目(権八のすぐ裏あたり)で魚屋さんを経営する主人が1996年に出版したエッセイ。西麻布に住んでいた向田邦子さんとの話が一押しの本だと思うけれど、岩田さんの子供時代の西麻布界隈が描写されていて自分には興味深かったです。

「麻布霞町、わが青春の町」と題された章に、昭和30年代前半の西麻布界隈の描写があります。

いまの外苑西通り、なぜかキラー通りという名で呼ばれている大通りは、まだなかった。この通りができるまでこの辺り一帯は、広い原っぱで、雑草が生い茂り、草ぼうぼう。秋ともなれば、トンボの大群が発生し、目をつむって、虫とり網をひと振りすれば、シボがとれた。

青山墓地の西側の外苑西通りは元々川が流れていたところで、田んぼがあったような場所なので、原っぱがあってトンボが飛んでいるというのも不思議でないと思います。(ちなみに、この「シボ」というはトンボの種類かと思うのですが、ちょっと調べたけどよく分かりませんでした。)

更に、西麻布の交差点を通っていた、四谷と品川駅を結んでいた都電7系統の描写もあります。

当時は、いまの広い六本木通りはない。霞町の交差点に立って青山墓地のほうを見ると、都電のむき出しの線路が四本、青山方面に真っすぐ伸びていて、やがて右へ曲って消えている。左側は、枕木に有刺鉄線が張られた柵があり、右角の都電の停留所の前は、そこだけが広く、そこから見ると墓地の大木が見える。その樹の下が、私たちの草野球のメッカ。

愛用してる「東京時層地図」というアプリでみると、昭和30-35年ごろの地図は下のような感じになっている。本の描写のとおり、霞町交差点(西麻布交差点)から北の方向をみると、都電が右に折れているのが見えます。「右角の都電の停留所」というのは、「墓地下」の停留所で(今は同じ名前のバス停になっている)、確かにその前に広い空き地があります。当時は、ここで子供達は野球をしていたんですね。

ちなみに、1964年の墓地下停留所の写真がAREAのこの記事に載っています。1964年は昭和39年なので、本の描写と地図より5年ちょっと後になりますが、当時の雰囲気が想像できるかもしれません。

「霞町雑記」– 六本木通りから富士山が見えた時代

西麻布の昔の様子を描いた本が読みたくて、霞町というタイトルがついた本を検索した結果、古本で買ってみた本です。結論からいうと、霞町の様子はほぼ全く書かれていませんでした… ^^;

唯一の描写は「序にかえて」の部分だけ、ちょっと長いけど引用すると、

私は麻布霞町に住んで居る。六本木の十字路から約十分の行程である。良いことに、この十字路の角に、老舗の書物屋がある。車から降りて、書架の新刊書に一通り目を通し、それからツエをついて帰るに、丁度かつこうである。このコースを実行し度いといつも思いながら、帰りは大抵夜になり、いつしれず怠つて終う。ある土曜日の日、それは冬としては珍しく晴渡つた夕陽の時であった。私はゆつくり緩り歩む。富士はあの端麗な姿で、真向いに私を迎えるかの様である。

この六本木交差点の書店というのは、2003年に閉店した誠志堂書店。当時(昭和25年)には、六本木通りから富士山が見えたみたいですね。

ちなみにこの本の著者は日銀総裁、大蔵大臣だった一万田尚登。敗戦直後の日本の雰囲気が伝わってくる文章でした。

「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編」

ふと、経済学の本を読んだことないなぁと思って、amazonで最初に目についた本がこれ。スタンフォード大学の経済学入門の授業の内容らしい。実際、内容に難しいところは全くなく、大学の一般教養の学生全員を対象にした簡単な入門授業と言われるとしっくりくる。基本的な内容を具体例を使って丁寧に説明してくれるのは、まさに初めて経済学の本を読む身にはありがたし、政策の主義主張からできるだけ中立に経済学の考え方を説明しようとしている本だと思う。

以下は、自分用のメモ。

価格統制

  • 価格を市場に任せられないと思った時にはどのような施策が考えられるか?単純には、価格の上限/下限を設定するという方法があり、代表的な例としては家賃の上限を決める家賃規制がある。一見リーズナブルな規制に思えよく実施されるが、様々な問題も起こる。例えば、売る側のモチベーションが下がり住宅不足が起きたり、コストを抑えるために住宅の質が低下する、借主が高い価格で又貸しするなど。これらは、「あるべき値段」より低く価格が設定されたことの副作用。

価格弾力性

  • 価格弾力性とは、価格が変化したときに、需要、供給がどの程度変化するか。例えばタバコの価格が上がったときに、喫煙者がタバコをやめれば需要の弾力性が高い、今までと同じように買い続ければ需要の弾力性低い、という。供給についても同様。
  • 需要も供給も短期的には非弾力的だが、長期的には弾力的であることが多い。
  • 需要が非弾力的なとき、コストの増加は消費者の負担になる。需要が弾力的なとき、コストの増加は生産者の負担になる。(当たり前ですね)
  • 弾力性の考え方は拡張ができて、代替エネルギーの補助金に対する供給の弾力性、所得税率引き下げに対する労働時間の弾力性、貯蓄の税額控除に対する貯蓄率の弾力性を議論することができる。

労働市場

  • 労働の需要は短期的に非弾力的で、長期的に弾力的。賃金が上がるとどれくらい労働の需要量が減るか?短期的にはあまり変わらない(解雇されない)が、長期的には人手を減らす投資が行われて需要が減る。
  • 最低賃金は一種の下限価格規制。他の下限価格規制と同様に需要の低下につながる。最低賃金が10%上昇すると非熟練労働者の失業率が1-2%あがるという調査結果がある。

格差問題

  • 所得の分配が固定的であれば問題。格差があったとしても、所得を増やすことができる人がどれくらいあるかによって公平さはことなる。