関西弁は英語に近い? —「複数の日本語 方言からはじめる言語学」

日本の方言がもつ「標準語」とは違った文法を紹介した本。方言というとアクセントや独特な語彙に目が行きがちだけど、方言には異なる文法がいろいろあって、標準語では表現できないことを表現できることも多いらしい。

最初の例は進行形と完了形。標準語では、進行形の”He was running.” は「彼は走っていた」、完了形の”He had injured.” は「彼は傷ついていた」と、同じ「していた」(現在形なら「している」)を使って表現される。我々は無意識に使っているけれど、「〜している」が付く動詞によって、進行形の意味になったり、完了の意味になったりしている。ところが、単語によっては両方の意味になり得るものもあって、例えば、「桜の花が散っている」は、「花が散りつつある」という進行の意味にも、「地面に桜が散って落ちている」の完了の意味にも解釈できてしまう。ところが、西日本の方言ではこれらを区別できることが多い。例えば宇和島方言では、進行形は「シヨル」、完了は「シトル」と別の表現になっていて、「桜の花が散りよる」と「桜の花が散っとる」と自然に進行形と完了形を区別できる。このように区別のできる文法を持つ言語は、英語も含めて一般的で、区別のできない日本語の標準語はむしろ特殊だそうだ。

もうひとつ面白かった例を紹介すると、可能・不可能の表現。標準語の「食べられない」が、大阪では「よー食べん」と「食べられへん」と異なるニュアンスが伝えられる。前者は「納豆嫌いやし、えらい勧められたけどよー食べんかった」のように自分の能力的に不可能であったこと、後者は「納豆好きなんやけど、時間なかったし食べられへんかった」のように状況的に不可能であったことを示すことができる。そして、(再びの)宇和島方言では、4種類の不可能表現が存在するという。「食べれなんだ」(状況による非実現)「よー食べなんだ」(不実行)「食べれれなんだ」(努力したが非実現)「食べられん」(規範として不可能)。こういう区別のある言語の話者からすると、標準語は表現能力が低くて不便だというのも理解できます。

本書は全部で10章あって、上で紹介したような、方言にあって標準語に存在しない文法の例が紹介されている。著者は言語学の専門家なので、諸外国語(コンゴ語、メキシコの方言、ブルガリア語など)の例も比較対象として所々に出てくる。読み進めていくと、日本の方言にヘンな文法が存在するというのではなくて、世界の言語にある豊かな文法表現(の一部)が日本語にも存在するということを感じさせてくれる。そういう意味でも、とても良い本でした。

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